昔の人はプラセンタの効果を経験的に知り、薬として古くから利用していたようです。
紀元前400年ごろ、古代ギリシャ時代にはすでに薬品として胎盤が使われていました。「医学の父」として有名な医者ヒポクラテスが、治療に使ったと書き残したものが、胎盤に関する最古の記録といわれています。
東洋でも、早い時期から効果に気づき、薬として使われていました。紀元900年ごろの医学書、さらにもう少し時代を下って明の王朝時代には、胎盤は「紫河草(しかしゃ)」という漢方薬として広く知れ渡っていたようです。
日本でも江戸時代に、紫河草を配合した「混元丹」が、虚弱体質や結核に効く薬としてもてはやされました。
歴史上の人物たちがプラセンタを愛用していたというエピソードはいくつもあります。
たとえば、クレオパトラやマリー・アントワネットは若返りのために、東洋では秦の始皇帝が不老長寿の秘薬として、それぞれ胎盤を用いていたと言い伝えられています。
精製技術が発達していない時代にこれほど評判になり、伝説の人までもが飛びついてしまうほど、プラセンタの効き目ははっきりしていて、魅力的だったのでしょう。
このように、紀元前の昔から利用されてきたプラセンタですが、胎盤から有効成分を抽出し、製剤する技術が大きく発達したのは第二次世界大戦後のことです。
日本の稗田博士は、冷蔵した胎盤から血液などを除いて有効成分を抽出する方法を生み出しました。1959年に注射薬「ラエンネック」が、肝硬変を治療する医薬品として、厚生省(現・厚生労働省)から認可されています。
その後も技術改良は進み、現在でも純度が高く、安全なプラセンタを作る努力は続いています。